有限会社ひまわり総合保険企画

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12月

昭和40年代

二十世紀が終わりに近づいた頃、当時所属していた会社のごほうび旅行で2泊3日の韓国行があった。
目黒に住んでいる時だから結婚前。観光地をバスで巡って、焼肉食って飲んで、というのだったが、
一番印象に残ったのはソウルの街並み。高いビルがにょきにょきの市街地も、路地裏に目をやると、
木造の2階建てがせいぜいの、昭和40年代の日本といった趣。
やたらとビリヤード場が多く、場末感がばりばり。
同行者(男)に行きましょうよ、と誘ったけど難色を示されて行きそびれた。
今思えば危険を伴わないとは限らないから賢明だったかも。
 
日本の昭和40年代は、ON全盛のジャイアンツが9連覇中で、白黒からカラーにテレビが変わり、
笠谷がジャンプで金メダル、冷蔵庫が氷から電気になり、
小学校校舎が木造から鉄筋コンクリートに建て替えられ、
祝祭日には当然のように日の丸がそれぞれの玄関に掲げられていた。
うちのは盗難されてしまったが。玄関に鍵を掛けずに外出するのは当たり前で、
その結果2階に置いていた14型のテレビを泥棒されたが、やっぱり玄関には鍵を掛けないままであった。
両親の反応、その後の対応から本当に泥棒か怪しいけれど。

 よそのお宅は知らないが、当時わが家は、車庫はなく、500メートル以内ぎりぎりに借りた駐車場に
中古の車が一台。テレビは札幌オリンピックでやっとカラーの2台目に買い直し。
電話は長く呼び出しが続き、遊びに行くのは友達がいるかいないか一か八か。
電話がついても玄関の脇なので親が全て聞いているから掛けたくはなく、テレビのチャンネル権は父であった。
 お隣の国の20数年前の路地裏に、そんな昔の感じが思い出された事だった。
その後の発展具合が日本と同じだったかどうかは知らないが、ただ今日お客様に伺った話だと、
高度成長からバブル、はじけて不況、人口ピラミッドの先細りに至るまで、
きれいに我が国の後を追っているそうだ。先日会社の忘年会旅行の韓国行きがあって、
留守番の私はおいしいキムチにありついたが、国情の印象はどうだったんだろう?
 そんな訳で昭和40年代に子供だった人と話すと楽しい。(了)

文:坂田 眞成